【感想】どう生きるか、どう死ぬか 「セネカの智慧」
大学2年の頃。大学図書館でセネカの「人生の短さについて」の文庫を借りたことがある。当時は書き方や言葉が難しくて結局読破は断念したが、この本の書き方はとても平易で分かりやすく、すいすいと読むことができた。
「今日が人生最後の日と思って日々を生きよ。」「自分の人生を意識した時間だけが人生の長さとして加算される。それ以外の時間は消え失せるだけである。」今まで時の流れを意識することなく何かに没頭した時間はどれだけあるだろう。
2千年前に書かれたものなので一現代人としての視点的に「ん?」となる部分もあったが核心をついている(と個人的に思った)セリフが並び、心にズキッとくることも多かった。この本をそっくりそのまま反映すれば全て上手くいく、ということはないと思うが2千年後を生きる私達の人生の過ごし方にも良い影響を与えてくれる一冊だと思った。
「勉強」について
私が大学に入学してから今まで3年間、力を入れていた(多くの時間を費やしていた)と言えるのは、「部活」だ。音楽系の部活に所属していたので、練習や合宿、飲み会など忙しい毎日を過ごしていた。その頃私が考えていた事といえば部活の事が大半であったと言っても過言ではない。
私が今まで学校でしていた勉強というと、『講義を聞いて板書するだけ』→『試験前にざっと復習』で終わりだ。睡眠不足の時は講義をちゃんと聞いていないことも多く、試験期間は友人に過去問をもらい、非常に場当たり的に詰め込んで(強引に頭に手順や知識を記憶させて)いた。時間もなく、怠け心もあったので徹夜をすることもザラではない。今、過去の講義内容を思い出して何か言ってみろとかやってみろとか言われても半分もできないと思う。短期記憶というやつ。
「理解して、記憶すること」=「勉強」 なんだろうか?
自由時間が増え、「教養のある人になりたい、知ってることを増やしたい」と思い、今まで読んでいた小説などの文学作品とは別に自分の専攻以外の学問の本を読んでみたりしているが読んだその場で理解はしても記憶はできていない。それでいいのかどうか。ただ闇雲に沢山の本を読みまくって理解して記憶すれば「勉強」したことになるのかどうか。
一人でやるときはどこまでいったら「記憶した」っていえるのか分からんし。まあまず学校でやってた専攻の講義の内容も曖昧なんですけど。前述の通り。自分流のやり方で闇雲に「勉強」してていいんかどうか分からんですよはい。
どうしたらいいんかなぁ。一人で「勉強」するってどうしたらええんやろ。
何が言いたいのか分からなくなってきた、かつ言葉が乱れてきたのでこの辺で終わる。
早速迷走。